Uncategorized

「みんな山が大好きだった」山際淳二

はい、今日は山際淳二さんのみんな山が大好きだったをご紹介いたします。

ここでは、この本の中で山際さんが覚めたソロクライマーと評価する長谷川恒夫をご紹介します。

1947年に横浜で生まれた長谷川は中学を卒業すると働き始め、県立神奈川工業高校の定時制に通いながら山に登り始めました。

17歳のときには会社の仲間とパーティーを組み、谷川岳に登りましたが、そこで仲間の1人が落ちて亡くなるという事故がおきました。

断末魔を思わせる叫び声が一の倉沢の谷に響き、恐怖に足がすくんでしまったといいます。

しかし、後にこの時のことを長谷川はこう振り返っています。

とことん勝負してやろう命のやりとりだ。今考えてみると大変恥ずかしいが、いわば人生の勝負を壁にかけてみよう、と思ったのはこの時が初めてだったと言ってよいだろう。

山との勝負に勝つには自分の技術を磨かねばならない。そう思うと私は絶対にトップで登れる技術、精神力、体力を身に付けなければならないと思った。

それから数ヵ月後、今度は長谷川自身が転落しました。30メートルほど落下し、大きな怪我には至らないかったものの、精神的には大きなショックを受けました。

パートナーには無理をするな、トップを代わってやるから後からついてこい、そう言われましたが、長谷川は決してトップを譲りませんでした。

長谷川その時のことをこういいます。

もし、ここで私がトップ譲ったら、私は一生自然に負け、山への恐怖感は残るだろうととっさに判断した。そして、なぜ自分が落ちたかわからないまま人生を終えてしまうのは非常に残念なことのように思えてならなかった。

1970年には長谷川はエベレスト登山隊のメンバーに選ばれました。しかしエベレスト隊は彼にとってはウンザリしたものだったようです。メンバーは48人いて誰がアタック隊として選抜されるかをめぐり、人間関係のきしみが発生していましたからです。

長谷川は何人かでパーティーを組んで山に登る時には、トップの人が自分より技術が劣ると見ると即座に交代しました。相手が憮然としたり、憤慨しても、俺がトップをやると言って平然と登り始めました。

パーティーは1本のザイルでつながれ、1人の転落が他の人にも大きく影響を及ぼします。下手な人間が先頭を切ればみんなが危険にさらされてしまう、それが長谷川の論理でした。

そうした背景もあり、長谷川はソロクライマーへとなってすいったのです。

長谷川は山に登るとますますストイックになっていきます。彼がグランドジョラスに挑戦していた頃、山で書いた手記にはこのように書かれています。

アルピニストにとってハングリーさが必要である。だが、それはアルピニストだけでなく、社会生活をしている多くの誰もが持っているのではないだろうか。

何かしたい、もっと価値ある生き方がしたい。充実した会話をしてみたいと言ったように。みんなハングリーなんだと思う。

私はたまたま山が好きで、山にその飢えを持っていった。そして一つ一つ登っていくごとに、私の飢えに対する栄養を山は与えてくれた。みんなの中に、きっと北壁があると私は信じている。その壁に向かって努力している人は、きっとまた新しい壁を見つけるだろう。

長谷川は北壁に挑戦し続け、1977年にはマッターホルン北壁、78年にはアイガー北壁、79年にグランドジョラス北壁の冬季単独登頂を成し遂げました。

その後も長谷川は彼の北壁に挑戦し続け、1990年にウルタル二峰で雪崩に巻き込まれ、なくなりました。

長谷川はこうも言っています。

恐怖に打ち勝ち、怠惰を蹴散らしていくことによって勇気は弱い自分を素晴らしい経験へと引っ張っていってくれる。

長谷川ほど結果を残した男であっても、日々恐怖や怠惰な弱い自分と戦っていたのだと考えると平凡な私にも勇気がわいてきます。私も私の北壁を見つけ、日々挑戦していきたいと思います。

以上、山際淳二さんのみんな山が大好きだったをご紹介いたしました。

このブログではサラリーマンなどの忙しい人が短い時間で良書に触れ、人生が豊かになることを目指しています。

ABOUT ME
7才の息子と3才の娘のパパです。子供の才能を伸ばすためには自分自身が勉強しないといけないなーと思い、色々とチャレンジしたり、読書したりして勉強しています。子育てや勉強を通じての学びをブログで共有したいな〜と思っています。😊