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「私の嫌いな10の言葉」中島義道

今日は中島義道さんの私の嫌いな10の言葉をご紹介いたします。

このブログはサラリーマンのような忙しい人たちが、短い時間で効率的に良い本に触れ、人生が豊かになるような学びを得られるブログを目指しています。

では、本の解説に移ります。

中島さんは哲学者であり、我々一般人が何気なく使っている言葉も深く考え、普段我々がいかに何も考えずにその言葉を使っているかということを気づかされます。

中島さんが嫌いな言葉の1つとして、みんな違ってみんないいと言う言葉があります。

ある時、中島さんがテレビを見ていると小学校の国語の教科書に、みんな違ってみんないい、と言う言葉で終わる詩がありました。

肌の色が、白くても黒くても、男でも女でも、背が高くても低くても、みんな違うけどみんないい。

中島さんはそれを見て、
でもそれって嘘じゃないかなぁ、とずっとつぶやいていました。

殺人者も、放火魔も、強姦犯もいいのかなあ?

殺される間際までいじめられても、親から毎日虐待されてもみんないいのかな。

そうじゃないから、生きるのがこんなに苦しいのに。

と、中島さんは考えます。

中島さんには、テレビの中の若い女の先生はそういう深いところまで考えてないように見えました。

差別反対教育の意図はもちろん理解した上で、中島さんには人生とはみんないい、と言っていられないほど酷なものであること、絶対にそのままでいいわけではないこと、を教えなければならないように思えたのです。

もちろん詩の作者やテレビの中の先生はそういう意味でみんな違ってみんないいと言ってるわけではないでしょうが、どの点がどの範囲に置いて、そのままでいいと言うことを定義しないと誤解を招く、と中島さんは考えます。

実際それを定義しようとすると、そのことがとても難しいことがわかり、その難しさを教えること自体に価値があると考えるのです。

その作業には人間の残酷さ、人生の理不尽さが現れてきます。それを小学生の頃から教えるのが良いのではないかというのです。

自分はそのままでもいいけれど、他の人はそのままでは困ると考えるのが普通であり、自分の趣味嗜好から離れた人は、我慢ならないのは当たり前のことなのです。

それを認めつつ、それを消すことの難しさも含めて、みんないい、の意味を考えるべき、と中島さんは考えます。

これは私の考えですが、そもそも学校とは社会に適応できるように子供を矯正するための組織ではないでしょうか。

その事実を曖昧にし、社会として許されないラインを明確にする議論もないまま、みんな違ってみんないいという耳障りのよい言葉で、子供や大多数の人たちを思考停止に誘導することは、社会にとって本当に良いことなのか、考えさせられます。

もっと深い議論が必要なのではないでしょうか?

哲学者である中島さんの考えは、自身の幸福度や、周りの人の受けを超えて、真実や真理にただ純粋に近づきたいという思いから出ています。

そうした考えは、我々多くの一般大衆が、周りの人への聞こえを意識したり、自分の幸せのために、真実をゆがめ、安易な言葉や答えに安直に飛びつくこと自体に警鐘を鳴らしてくれているように思えます。

以上、中島義道さんの私が嫌いな10の言葉より、みんな違ってみんないい、を解説しました。

 

 

 

ABOUT ME
7才の息子と3才の娘のパパです。子供の才能を伸ばすためには自分自身が勉強しないといけないなーと思い、色々とチャレンジしたり、読書したりして勉強しています。子育てや勉強を通じての学びをブログで共有したいな〜と思っています。😊